緩い繋がり (3)

 Twitterのおすすめのアカウントに時々南無さんが現れて、どうしているのかな、お元気かな、とそのたびにぼんやり思っていた。でも先日、亡くなったことを知った。

 直接お会いしたことはなかったが、今は無きContemporary Unitで大変お世話になった方のうちの一人である。ちょうど個人的なトラブルを抱えていた頃で、いつでも電話してくださいと連絡をくださったこともあったが、なんだか申し訳なくて結局電話をかけることができなかった。その後、一旦は落ち着くも、別のトラブルで精神的にかなり参ってしまった。その時は奥様から「南無も『えんじさん大丈夫か』って心配しているよ」と連絡いただいたこともあった(そう、奥様にもいつも本当にご心配をおかけしてばかりだった)。

 Twitterの存在を知ったのも南無さん経由だった。「相変わらず暗いねえ」とよくからかわれたっけ。

 

 色々なことを思い出そうとした。でも記憶はどんどん曖昧になっている。これまでの人生で一二を争う辛い時期だったのだ。嫌なことは極力思い出さないことにしているせいか、辛い記憶と一緒に忘れてしまったのかもしれない。でも、当時のweb上でのやりとりは、私にとって本当に救いだった。あの緩い繋がりがなければ、耐えられなかっただろうと思う。

 

 あの頃繋がりがあった方たちとは、今はもうほとんど関わりが無くなってしまった。寂しい。でも仕方がない。そういうものなのだ。

 みなさんお元気ですか、と思ってみる。おそらく届かないだろう。

緩い繋がり (2)

 Twitterでフォローしていた方の訃報を受け取ってからしばらく経つ。彼女の生前は特にやりとりはしていなかった。完全に遠くから眺めているだけの人だった。けれど彼女の言葉が好きだったし、フォローされた時やふぁぼられた(敢えてこう書く)時は本当に嬉しかった。ああ、読んでくださったのだな、と。彼女の書く言葉が大好きだったのだ。今もまだ、たぶんこれからも。

 

 Twitterが休眠アカウントを削除していくというニュースが流れてきた。

Twitter、休眠アカウント削除へ 対象アカウントに12月11日までにログインするよう警告 - ITmedia NEWS

 彼女のアカウントもいつか消えてしまうのだろうかと悲しくなった。人は二度死ぬ、とはよく言うけれど、これじゃ「三度死ぬ」ではないか、とぼんやり思った。使われなくなってしまったアカウントを残す弊害は確実にあって、それでも残したい、残して欲しいアカウントがある。亡くなられた方の意思は、遺された方の思いは…何が最善なのかはケースによる、としか言いようがないのだろうか。

 私には人様のアカウントのことをとやかく言う資格なんかない。好きだった人がいなくなるのはとてもさびしい、それが全てである。

緩い繋がり

 「さびしい」と書いた途端、涙がぼろぼろ溢れてきて、そうか私はさびしいのかと気がついて、そのあとはもうどうしようもなくなってしまった。何年もTwitterでフォローしていた人がタイムラインから突然居なくなった、それだけの話である。Twitterを消そうか迷っているというtweetを読んだ翌日、彼は居なくなっていた。

 

 精神的にかなりしんどかったころに偶然繋った人だった。実際に会ったのはほんの数回だ。彼のライブを観に行ったら挨拶に来てくれた。コーヒーを飲んだり、ビールを飲んだりしながら話をした。それはいつも、暑い夏のことだった。何年か前の、夢のような夏の日々のうちの、ほんの数時間のことだった。それまでもそれからも時々、ほんとうに時々、Twitterで短い会話をした。その程度の繋がりだった。別に死別したわけではない。これからも彼の人生は続いていくのだろうし、もちろん私の人生も続いていくはずだ。またどこかで交わるかもしれないし、もう関わることはないかもしれない。ひょっこり戻って来るかもしれないし、もう戻らないかもしれない。それは誰にもわからない。フォローしていた人がTwitterから居なくなった、それだけの話だ。それだけの話なのだが、今、とてもさびしい。