ふわふわ

 彼女の手は、とてもふわふわで柔らかかった。少し苦しそうに呼吸をする彼女の手を握って、ああそうだ、この手だ、このふわふわの手だ、いつか触れた時もこんなふうにふわふわだったと考えていた。ちっとも変わらない、温かくて可愛らしいその手を撫でながら、何度も名前を呼んだ。彼女の目にうっすら涙が浮かんだ。がんばってえらいね、と訳のわからない言葉が口に出た。コウペンちゃんっすね、といつもの声で笑って答えてくれたらいいのにと思った。

 帰り際、またね、と声をかけた。本当は「早く良くなって、絶対また戻ってきてね、みんな待ってるよ」と言いたかった。そんなことを言ったら苦しめてしまうかもしれないと思った。言ってもよかったのかもしれない。でも、またね、と声をかけるのが精一杯だった。それが昨日。

 

 今日も会いに行った。昨日の苦しそうな表情はもうなくて、ただ眠っているようにしか見えなかった。起きて、ねえ、起きてと肩に触れてみた。ぱちっと目を開いてにっこり笑ってくれそうな気がした。実際、微笑んでいるようにも見えた。優しくて可愛くて、弱音なんか絶対吐かない、本当に強い人だった。がんばったね、本当によくがんばった。あなたのことが大好きだよ。

 しばらくの間、手を握って撫でていた。ふわふわの手はまだほんの少し温かかった。

見知らぬ手と手

 つらい思いをしながらも生きようとしている人の告白を聞いてまず驚き、そして目を見つめてただ手をぎゅっと握る、そんな光景を間近で見ていた。ああ、と思う。そんな寄り添い方もあるのだな、と。そして涙が溢れた。この人のために何ができるだろうとこの数か月考えていた。できることはとても限られている。とても無力ではある。それでも、それでも、

 

 誰かが泣いていて、その人を抱きしめる夢を見た。誰かに抱きしめられたいのだろう。少し疲れている。

日記やら人生やら

 ライブを観に行ったあとで、そういえばライブハウスに足を踏み入れたのは何年ぶりだったんだろうなと、自分の書いたブログの記事を読み返していた。もう9年も前のことだった。とても驚いた。本当に嘘みたいだ。そんなに経ったのか。そしてそのまま過去に書いたブログの記事を読んでいた。辛いことが立て続けに起きいて、それらから抜け出すのにそれぞれ何年もかかっていて、元々の性格の暗さも相まってひどく文体が暗い。同じことばかり書いている。まあ仕方ないでしょう。あれだけ酷いことが続いてたんだから。

 

 その頃もtwitterはやっていて、あまりにも辛すぎてアカウントを消したり、今のアカウントもしばらくは書いても全部消していた。いいね(当時は「お気に入り」だったか?)も気軽にできなかった。鍵をかけたアカウントですらそうだった。何もかも全部を削除していた。ある時からふと何かを思い直して、リハビリ的に少しずついいねをしはじめて、書いたことも消さないようになった。そうして現在に至る(当時心配をしてくださった皆さま、今更ですがありがとうございました。現在はご覧の有様だよ。昔から忙しい人ではあったのだけれど、近年更に嘘みたいに多忙になり、毎日疲れてます。いえあ)。

 

 日記を書くことが気恥ずかしくて嫌だった。小学生の頃に宿題で書かされて以来大嫌いだった。ノートに文字を書いて残すとか、やってる人ってほんとマメだよなーすごいよなーと思っている。読まれたら恥ずかしいしなー、とか。でもよく考えたらtwitterにはしょっちゅう何かしら書いていて、instagramやらflickrには写真を残している。これは日記以外の何物でもないし、何より他所様に見せることが大前提である。なーにが読まれたら恥ずかしいだ。自分から見せてんじゃん。要は自分に合ったお手軽さと承認欲求なのだろう。

 

 消してしまった短い文章のことを時々考える。誰も自分のことなんか気にしてないんだからそんなに難しく考えないで残しておいてもよかったんだよ、とも思うし、残しておいたブログの記事を読み返して少し辛くなったから、まあ消してもよかったんだろうなとも思う。この先のことを考えてもなるようにしかならないし、なけなしの記憶力と経験を駆使してこれからも死ぬまではこのちっぽけな人生を生きていく。ただそれだけ。