助手席

 
 なんだか降って来そうですね、という声にそうですねと答えたものの、曇り空は明るく、隙間には薄い水色が見えた。そうですねと答えたわりには降りそうもないのになあと考えていると、フロントガラスの上に次々と雨粒が落ちてきて少し驚いた。高速道路を降り、彼はカーナビの目的地をバイパスのインターチェンジに変更した。それではかえって遠回りになりますと言おうとしてやめた。挨拶のような会話をいつまでも続けながら、助手席で壁のことを考えていた。人の間にある見えないけれど確実に存在するいくつもの壁。いくつ乗り越えると人は誰かと親密になるのだろう。乗り越える壁と乗り越えない壁と乗り越えられない壁は。
 
  さて来年どうしようかって思ってるんですよ、次の暇つぶしを考えなくちゃ、と彼は言った。「暇つぶし」という言葉に一瞬戸惑い、それでもよく考えたら、実はわりとそういうことなのかもしれないなと思った。次の暇つぶしのための暇つぶしのことを考える。古い歌を思い出す。彼らはこう言った。人は必死でヒマをつぶしてるだけだ。  
 
「**さんて私とは絶対に価値観が合わない」と彼を評して彼女は何度目かで笑った。そうだろうなあと苦笑いした。すぐに駅に着くはずの車は、なかなか目的地には到着せずに大きな川沿いを走っていた。夕方の空は灰色で満ちていて、わたしたちは窓を全開にして気持ちのよい風に吹かれていた。信号にひっかかるたびに彼女は慣れた手つきで地図をめくった。迷ったんですか、と言おうとしてやめた。知らない場所だったので、自分が一体どこにいるのか、どこへ連れて行かれるのか全くわからなかった。携帯電話で現在地を調べることもできたのだが、あえてしなかった。
 
 助手席に座るといつも、帰りたくないと思う。