大きな傘が必要ですと天気予報が知らせるから、コンビニで買った70cmのビニール傘を広げた。それなのに、少なくとも私が外にいる時間には、晴雨兼用の日傘で十分用が足りる程度の雨しか降らなかった。これは帰りに荷物になるな、と小さく溜息を吐く。「備えあれば憂いなし」とは言うけれど、備えたところでやはりこんなふうに憂うだけのことだ。結局、備えない憂いと備えた憂いのどちらかを選ぶことになる。どちらがマシか。いつでも判断をあやまってばかりいる。
 
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 イランから来たというその男性は、家族のこと、特にふたりの子どもについて話した。彼らには間違える権利がある。大切なのは愛と自由です。男性は真剣な表情で話した。
 間違えることの必要性は知っている。間違えることで何かを学び、成長することができるはずだから。間違えることが許されるのはひとつの愛のかたちである。愛という信頼、信頼に基づく自由。背景が異なれば意味は少しずつ変容する。変容しないものもあるといえばあるのだろう。
 何を話しても薄っぺらな言葉にしかならないのが嫌だった。お子さんたちを愛しておられるのですねとは言わなかった。