轍と塩

 
 書店の大きな本棚の前で、いつものように苦しくなっていた。まともに本を読むことができなくなってから1年以上が経過している。部屋の隅には、読めないくせに買い集めた本が山積みになっており、そのイメージが脳裏をかすめたが、それでも何冊かを手に取り、次の本を探した。ようやく少しずつ本が読めるようになってきたところだったのだ。でもまだ本棚の前に立つのは少し苦しい。くだらない、実にくだらない理由で。
 本棚にずらりと並んだ専門書の背表紙を眺めていると、つまらないことばかりを思い出す。そして、多分わたしは彼らが残した轍の上を歩いていて、この先もずっと、もうそこにはいない彼らの姿を、絶対に手が届かない彼らの姿を、轍の先の遥か彼方に探すのだろうとぼんやり思う。それはとても悲しいことだった。
 
 予告された時間に電話は鳴った。話は予想されたとおりの内容で、聞かなくともわかっていたから、電話に出たくはなかった。重苦しい会話が続いたあと、それとは全く関係のない件で質問をして回答を得たのち、電話を切った。記憶の隅に辛うじて残る伝言をまた伝えなかった。
 死の間際に頼まれたことがあったのだ。いつか機会があったら、と声を失った彼は言った。あいつに伝えてくれ、本当は、本当は。本当のことは当事者以外には絶対にわからないものだとしばらくの間考えていたが、本当のことなんて当人にすら忘れられてしまうことを忘れていた。ましてや他者なんかにわかるはずもない。そうして願いを叶えられないまま、伝言の内容を忘れはじめている。
 
 バラバラに散らばる正方形の白い紙が、いくつも並べられてひとつの形をつくっているのを見ている。そこにどんな意味があろうと、それは捻じ曲げられる。わたしによって、あなたによって、誰かによって。
 
 帰りの車でつけたラジオからは、やわらかなピアノの音と切ない歌声が流れた。塩を少し撒こうと誰かが歌う。撒く塩を持たないわたしはどうしよう。持っていても撒くことは許されていないのだろうと思う。未来は薄暗さすらもたず、過去だけを見ている。猫への態度を悔い改めよと誰かが言う。悔いるばかりで改まらない。縋るものがあればいいだろうか。