深夜のフロントガラスの上にぽつりぽつりと雨粒が落ち始めたのに気がついたとき、運転手の声が聞こえた。ぼんやりしていたから何を言っているのかわからなかった。次に続いた言葉で、聞き取れなかった言葉をようやく理解する。「ああとうとう降ってきた」彼はそう言ったのだった。もう少しで一日が終わるところだったのに。そんなふうに聞こえたのだけれど、そう思ったのは彼ではなくてわたしだったのかもしれない。フロントガラスの水滴は徐々に増えて、やがて雨音がタクシーを包んだ。一日を雨から免れられなかったから、あるいは免れることができていたとしたら、どうだというのだろう。「明日も雨ですね」彼がそう言ったのち、日付が変わって明日が今日になった。
 「気をつけて」という声とともにドアが閉まる。通りのバス停には猫が待っていた。
 
 あなたと話していると(というかあなたの話を聞いているとと言ったほうが正しいのだろう)、自分が如何に狭い世界で生きてきたかがよくわかる。広いのがいいとか悪いとか、そういう話ではもちろんないのだけれど、わたしはこんな狭いところにいて、それなのに、まだ一層の狭さを望んでいる。狭さを望むのは、どうしたって手に入らない、広い世界にある様々なつながりへの羨望と嫉妬と絶望(この言葉は使いたくない、使うとすごく胡散臭い)の裏返しなのだろう。せめて狭い半径の中で自分にとっての完璧さを生きていたい。完璧が何なのかもよくわかっていないくせに。