waiting for the next storm of a teacup

 

 あ、紫陽花、とカメラを向けた。それなのに、紫陽花を撮ったことに本当に気づいたのは、丸一日以上経ってからのことだった。一時期は見るのも辛かったはずなのに、いつの間にか、それくらいなんともなくなっていたようだ。
 苦しさから脱するためには、別の、より強い苦痛を得る以外にはないとは思いたくない。思いたくはないけれど、別の激しい嵐の中に身を置くということは、一番確実で手っ取り早い方法なのかもしれない。ならば、と次の嵐を待ってしまう。たぶん来ないのに。