誰かに怒りをぶつけるときは逃げ道を用意してあげなさい、と言われたことがある。それは必要なことなのかもしれないけれど、怒りが湧き上がるときにはそんなことを考える隙間などないだろう。怒りと憎しみが重なったときなら尚更だ。怒りが悲しみと重なったときには自分自身に逃げ道が欲しい。逃げ道を用意できるのは余裕があるときだ。つまり、その人は「冷静になれ」と言いたかったのだろう。 目を閉じて何も見なければよいのかもしれないとも思う。おそらくは見ていなくとも生きていく分には何の支障もない。見てしまうから狂うのだ。だから、何も知らなければよかった。一度知ってしまったからにはもうなかったことにはできない。もう目を閉じることができない。世界は動き続けていて、そのほとんど全てのことを、わたしはどうすることもできない。