わたしたちに一体何が共有できるのだろう。そんなものがあったとして、けれどそれはきっとほんのわずかだ。
 それでも、と続けようとするのは愚かだろうか。「それでも」の先にどんな文章が続くかによって、「愚かさ」は別の何かに変わるのだと思っている。
 愛するということについて考えていた。愛するということは、一種の「都合の良さ」なのかもしれないと思った。いろんな形の愛があるけれど、その都合の良さがどこに向かっているのか、その方向によって感情は(時には状況も)変化する。「都合の良さ」については上手く説明できない。