日記やら人生やら

 ライブを観に行ったあとで、そういえばライブハウスに足を踏み入れたのは何年ぶりだったんだろうなと、自分の書いたブログの記事を読み返していた。もう9年も前のことだった。とても驚いた。本当に嘘みたいだ。そんなに経ったのか。そしてそのまま過去に書いたブログの記事を読んでいた。辛いことが立て続けに起きいて、それらから抜け出すのにそれぞれ何年もかかっていて、元々の性格の暗さも相まってひどく文体が暗い。同じことばかり書いている。まあ仕方ないでしょう。あれだけ酷いことが続いてたんだから。

 

 その頃もtwitterはやっていて、あまりにも辛すぎてアカウントを消したり、今のアカウントもしばらくは書いても全部消していた。いいね(当時は「お気に入り」だったか?)も気軽にできなかった。鍵をかけたアカウントですらそうだった。何もかも全部を削除していた。ある時からふと何かを思い直して、リハビリ的に少しずついいねをしはじめて、書いたことも消さないようになった。そうして現在に至る(当時心配をしてくださった皆さま、今更ですがありがとうございました。現在はご覧の有様だよ。昔から忙しい人ではあったのだけれど、近年更に嘘みたいに多忙になり、毎日疲れてます。いえあ)。

 

 日記を書くことが気恥ずかしくて嫌だった。小学生の頃に宿題で書かされて以来大嫌いだった。ノートに文字を書いて残すとか、やってる人ってほんとマメだよなーすごいよなーと思っている。読まれたら恥ずかしいしなー、とか。でもよく考えたらtwitterにはしょっちゅう何かしら書いていて、instagramやらflickrには写真を残している。これは日記以外の何物でもないし、何より他所様に見せることが大前提である。なーにが読まれたら恥ずかしいだ。自分から見せてんじゃん。要は自分に合ったお手軽さと承認欲求なのだろう。

 

 消してしまった短い文章のことを時々考える。誰も自分のことなんか気にしてないんだからそんなに難しく考えないで残しておいてもよかったんだよ、とも思うし、残しておいたブログの記事を読み返して少し辛くなったから、まあ消してもよかったんだろうなとも思う。この先のことを考えてもなるようにしかならないし、なけなしの記憶力と経験を駆使してこれからも死ぬまではこのちっぽけな人生を生きていく。ただそれだけ。